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SMAP 卒業コンサートにおける重要性を解説

いや、前回処置した傷も癒えぬまま、過去の傷を掘り起こし、なおいっそう手負いになって舞い戻ってきている。
僕自身、当時小4の頃からガチ恋していた加護亜依さんが、スキャンダルに揉まれ、別れを告げる機会もないままに芸能界を去っていってしまったときの気持ちをいまだに思い出してしまう。
言うならば、葬式とは、終わりのないバグ感情の中で、“非日常”を意図的に作り出し、ひとときのピリオドを打つことで、心を整える儀式である。
最後にステージを降りていく推しの後ろ姿を心惜しく眺め、帰路へと向かう夜行バスの静寂の中で、やっとオタクは思えるのだ。

最後にコンサートがあってほしかったと思うTさんの気持ちは、煩悩でもなんでもなく、「居なくなったことを受け止めたい」と思った人類の叡智そのものだ。
だからこそ、その気持ちは否定されるようなものではないと僕は思う。
それなのに、もう居ないことを確認するのが怖く、思い出があることすら逆に辛すぎて、まともに記憶の中の推しを直視できなくなる気持ちは、身に沁みて分かる。
「大事なものは失って初めて気づく」何かを失ったとき、誰もがそのような気持ちになったことはないだろうか。
突然の別れで、伝えたかった気持ちも届けられないまま、そんな現実すら見るのも嫌で、ただただ塞ぎ込むしかできず、いっそ推しに出会ったことすら無かったことにしたい。
浮かび上がる気持ちは、どれも殺傷力が高い、と日刊サイゾーが報じた。

SMAP – Wikipedia

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ソース:日刊サイゾー

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