私は成田空港の南ウイング16番ゲートの正面にいた。
私を含め、そこに集まった報道陣の数は100人以上。
午後4時5分、「未婚の母」となった萬田久子が黒いコートに身を包み、肩まで伸びた髪をなびかせて、7カ月ぶりに姿を見せた。
無数のフラッシュをかいくぐり、サテライトへと向かう萬田に取材陣から「今のお気持ちを聞かせてもらえませんか」との声が飛ぶ。
萬田は唇を噛みしめたまま、ノーコメント。
そんな状況で「今の気持ちは?」と聞かれても、そう簡単に経過や心情を説明するのは難しいだろう。
怒号と悲鳴が飛び交うバタバタの帰国劇から1年後の89年。
その理由は、資産家であるA氏と結婚することで「財産目当て」と言われることに対する「女の意地」、あるいは、A氏と前妻との間の3人の子供への「配慮」等々、いろいろと憶測されたものだ。
既に末期の状態だった。
それに追い打ちをかけるように、8月には「週刊新潮」が、A氏にもう1人の隠し子がいたことを報じた。
萬田は息子、そして前妻の3人の子供たちと交代でA氏に付き添い、懸命に看護。
だが、その願いは届かず、8月9日、A氏は旅立った。
そう言うと、天を仰いだ。
その言葉には、彼女だけが知る複雑な思いが滲み出ているようだった、とアサ芸プラスが報じた。
萬田久子 – Wikipedia
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