現在はお笑いタレントとしてだけでなく、画家や書家、そしてヨガ実践家としても活動する片岡鶴太郎だが、彼がブレイクするきっかけが「小森のおばちゃま」の愛称で親しまれた映画評論家、小森和子のものまねだった。
小森は1909年の生まれというから、明治42年。
95年3月に自宅マンションで転倒して車いすが手放せなくなり、翌年1月に引退するまでは、80代にして現役バリバリの映画評論家として活躍してきた。
当時は鶴太郎の「こ、こ、小森の、おば、おば、おばけちゃまよ~」というフレーズがウケていたこともあり、彼女もバラエティー番組などにたびたび出演。
取材は1時間ほどで終わり、ひょんなことから恋愛話に。
というのも当時、小森はバラエティー番組などで、「昔は惚れ魔って言われていたけど、今は片思い魔」「フランク・シナトラちゃんにベッドへ誘われたの」「神戸の外国人と付き合っている時に、日本人のスポーツ選手と遊んでいたんだけど、ブカブカだった」などなど、自身の男性遍歴をあっけらかんと告白。
婚姻中から数々の男性と浮き名を流し、生涯の目標はなんと「1000人斬り」。
翌10日、弔問に訪れた鶴太郎が囲み取材に答えた。
そう言って、大粒の涙を流したのである。
小森の死後、養女によるすったもんだもんだの騒動もあったが、不肖この私も「死ぬまで男であるべき」と改めて胸に誓ったものである、とアサ芸プラスが報じた。