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チェッカーズ メンバーの死でも繰り広げられた秘史

83年に「ギザギザハートの子守唄」でデビューするや、瞬く間にトップバンドに上り詰める。

藤井フミヤを中心とした7人組グループ、チェッカーズだ。

グループでドラムを担当し、クロベエの愛称で親しまれた徳永善也が舌ガンのため死去したのは、04年8月17日である。

うち1枚には「当日、11時30分から行われる記者会見において高杢、鶴久の両名は元チェッカーズのメンバーとして、徳永善也さんを6人で送りたいという希望を持っておりましたが、残念ながらその望みはかなえられませんでした」と綴られていた。

もう1枚は、フミヤをはじめとした「送る会」発起人が高杢の事務所あてに送った通信文で、そこには「さて、記者会見なんですが、これに関しては送る会を立ち上げた発起人5人で行います。これまでの経緯上、そうする事が僕らの責任でもあり、義務だと思いますので、その旨ご了承ください」。

つまり、2人への「出席辞退」申し入れともとれる内容だったのだ。

金銭トラブル、さらに、フミヤの恩師に対する「忘恩」などを暴露。

この言葉に対し、病床のクロベエを見舞うこともかなわず、死去の知らせも親族からの電話で聞いたという高杢は猛反発し、唇を噛んだ。

クロベエは死の1カ月前、七夕の短冊に「みんなが仲良く」と綴っていたという。

しかし、その願いはついに叶わなかったのである、とアサ芸プラスが報じた。

チェッカーズ – Wikipedia

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ソース:アサ芸プラス

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