ペア写真集を発売するなど、「平成のバカップル」という称号で呼ばれることもあった羽賀研二と梅宮アンナ。
2人が夫婦同然だった5年間の生活にピリオドを打つことを発表し、アンナの父で俳優の梅宮辰夫がTBSで記者会見に臨んだのは、99年3月9日のことだ。
梅宮は日本テレビの釣り番組特番で、松方弘樹とともにニュージーランドに滞在中だった。
そんな最中、アンナが一部ワイドショーで羽賀との破局を告白。
急遽帰国した梅宮を成田空港で報道陣が直撃したが、この時は「ノーコメント」だった。
冒頭、梅宮は「僕は今回の騒ぎの当事者じゃないから、あんまりしゃべることはないんです」と切り出したものの、交際発覚当初は「羽賀クンは腐った橋だ。アンナが渡ろうとすれば、止めるのは当然のこと」と大反対だっただけに、5年の歳月を経てようやく娘が自分の元へ戻ってきたことに安堵したのか、その口調は滑らかだった。
会見終了後、羽賀のマンションを訪ねたが、留守だった。
そこで当時、羽賀と懇意にしていた芸能レポーターの梨元勝氏に話を聞くと、会見終了後、会場から直接羽賀に電話したとして、こう語った。
また、会見で梅宮はこんなアンナの様子も明かした。
そう語る梅宮の目には光るものがあり、翌日のスポーツ紙には「梅宮、娘奪還!」「梅宮、男泣き!」といった予想通りの見出しが並ぶことになったのである、とアサ芸プラスが報じた。
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