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新田恵利 アイドル史を変えた「おニャン子クラブ」真相語る

お茶の間にお披露目されるや、瞬く間に全国へと人気が波及、普通の女子高生&女子大生がかつてない社会現象を巻き起こした「おニャン子クラブ」。
1を争った不動のフロントメンバー新田恵利が、その熱狂を振り返る。

高校生当時、「日給5千円」という文言に惹かれバイト感覚で出演を決めた「夕やけニャンニャン」。
この異常事態にスタッフは「人が集まりすぎて危険」だと中止を決断。
「セーラー服──」でオリコン24.7万枚を記録すると、グループ曲、各メンバーのソロ曲、ユニット曲を毎月2、3作ほどコンスタントにリリースし、最盛期の86年にはオリコン年間52週のうち、36週でおニャン子関連の楽曲が1位を独占。

スタッフが努力せずとも、関連楽曲の売り上げは、101.5億円を記録したのだ。
ただ、過熱する人気のせいで、学ランの集団に怖い思いをしたことがあり、人通りの多い場所を避けていたという。
ソロデビュー曲「冬のオペラグラス」が3週連続オリコン1位を獲得するなど、ソロ活動も順調。

86年冬、中野サンプラザを皮切りに全国を回ったファーストコンサートでは、追加公演として日本武道館での開催が決まった。
当時と変わらぬこの屈託のない笑顔が、次々に記録を塗り替える原動力となったのだ、とアサ芸プラスが報じた。

新田恵利 – Wikipedia

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ソース:アサ芸プラス

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