私は1982年から1987年までの5年間、週刊誌で松田聖子の番記者をしていた。
時期的には、彼女が郷ひろみと交際し始めた頃から、神田正輝と結婚して長女・沙也加を出産した少し後まで、ということになる。
郷との結婚が間近と言われていた聖子が緊急記者会見を開く、という一報が飛び込んできたのは、1985年1月23日午前8時のことだ。
急遽、途中のコンビニで使い捨てカメラを購入し、時間ギリギリに会見場に滑り込んだ。
これをプロ意識ととるか、したたかさととるかはともあれ、私はこの言葉に、松田聖子という女性の本質を見たような気がした。
破局会見からわずか1カ月後、彼女が結婚相手として選んだのが、涙の会見を行った最中に東宝が製作していた映画「カリブ・愛のシンフォニー」で聖子の恋人役を演じた神田正輝だった。
テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。
その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。
芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。
「東方神起の涙」「ユノの流儀」「幸せのきずな」ほか、著書多数、とアサ芸プラスが報じた。
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