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高倉健 江利チエミとの、果たせなかった”約束”とは

田園都市線の二子玉川駅から徒歩10分ほどにある「報徳寺」。

山門の傍には手を後ろに組んで歌うおさげ髪の少女の石像があり、そこには「テネシー・ワルツ」の音符が刻まれている。

45年の生涯、この曲を歌い続けてきた江利チエミは今、この寺の奥にある墓地で静かに眠っている。

急死の第一報が消防本部に届いたのは1982年2月13日、午後3時。

彼女はこの日、午後4時10分の羽田発の飛行機で北海道へ向かうことになっていた。

女性マネージャーが自宅マンションへ迎えに行くが、一向に返事がない。

そこで合鍵を持つ従妹を呼んで部屋に入ると、赤いブラウス姿のまま、寝室で倒れていたのである。

江利は美空ひばり、雪村いづみと共に昭和歌謡界を牽引してきた歌姫だった。

東京・目白にある「椿山荘」では、彼女の7回忌法要と、「江利チエミを偲ぶ会」が行われていた。

だが、法要にも偲ぶ会にも、かつて江利が「ダーリン」と呼んだ高倉の姿はない。

偲ぶ会では、ふたりの結婚当時の写真やハワイへの新婚旅行の映像が映し出され、最後に全員で江利の「新妻に捧げる歌」を合唱して幕が閉じた。

そう語ると、大粒の涙をこぼした。

そんな高倉が旅立ったのは、2014年11月。

高倉との約束を最後まで信じ、復縁を待ち望んでいたという江利。

それは、彼女の望みを叶えた瞬間だったのかもしれない、とアサ芸プラスが報じた。

高倉健 – Wikipedia

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ソース:アサ芸プラス

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