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小林亜星 が服部克久とのドロ沼訴訟4年

同年7月30日、都内のホテルで記者会見を開いた小林氏は、5年前に服部氏が作ったテレビ番組の挿入歌「記念樹」が、67年に自身がCMソングとして書いた「どこまでも行こう」にそっくりだとして「著作権侵害!慰謝料を払え!」と怒りを爆発させたのである。

小林氏は服部氏に対し、文書で事情説明を求めたが、服部氏は「似ていない」と真っ向から反論。

すぐさま会見を開くと「名誉棄損で反訴も考えている」とコメント。

と前置きして、次のように分析した。

同氏の全面敗訴により「盗作」という主張が退けられる結果となった。

判決後に記者会見を開いた小林氏は、憤懣やるかたない様子でコメント。

判決を不服として、今度は編曲権侵害に主張を移して争うことになったのである。

結果、02年9月の東京高裁における控訴審では、判断が一転。

最終的に「記念樹」の作曲は著作権法違反にあたる、との判断が下った。

騒動勃発から4年、まさに執念の「ライフワーク」が完結した瞬間だった、とアサ芸プラスが報じた。

小林亜星 – Wikipedia

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ソース:アサ芸プラス

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