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ビートたけし 東スポ映画祭休止の背景とは..?

例年2月に開催されてきた「東京スポーツ映画大賞」。
東京スポーツ新聞社が主催し、“世界の北野”北野武監督ことビートたけしが審査委員長を務める映画祭だが、今年も開催されることはなかった。
第1回東スポ映画祭が開催されたのは、1992年。
その前年、たけしは東スポの客員編集長に就任し、月1回、時事ネタを中心としたインタビュー記事「たけしの世相斬り」に登場してきた。
ただ、たけし側には、他の思惑もあったという。
ちなみに、当初、たけしのインタビュー記事を担当したのは、現在、東スポ社長を務めるS氏だった。
当時たけしは、北野武初監督作品『その男、凶暴につき』の公開をきっかけに、映画製作にのめり込んでいたこともあり、またしても前出のH氏を通じて、東スポに映画祭の開催を打診した。
第1回授賞式が渋谷ビデオスタジオで行われると、その後、第4回以降は東京プリンス、赤坂プリンスホテル、新高輪プリンスと、回を追うごとに盛大になり、注目度もアップしていったが、18年3月、たけしが『オフィス北野』を独立した頃から雲行きが怪しくなっていった。
客員編集長としてのインタビューはなくなったものの、翌年の東スポ映画祭は無事開催された。
結局、交渉は決裂。
それまで映画祭の司会を務めていた『たけし軍団』のガダルカナル・タカが師匠のたけしに再考を促したが、聞く耳を持たなかったという。
ところが、昨年末から、たけしの事務所の役員でもあるE子さんが、東スポに影響力を持つ人物を通じて、映画祭の復活を画策している、という情報が流れている。
他方の東スポは、昨年4月、経営悪化を受け、約100人の社員をリストラする計画を「週刊文春」に報じられている。
その後、なぜか“東スポ餃子”の販売を始め、今では、「記事より餃子を売ることに熱心だ」と揶揄されているが。
東スポ映画際の開催費用は、約2000万円といわれている。
会社存亡の危機にある東スポにとっては、映画祭どころではないかもしれないが、果たしてーー、と日刊サイゾーが報じた。

ビートたけし – Wikipedia

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ソース:日刊サイゾー

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