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田原俊彦 ビッグ発言で始まった事務所不信と〇〇

「マスコミ嫌い」を公言する田原が、所属レコード会社の指示で「長女誕生の記者会見」を開いたのは、1994年2月17日。
開口一番「今日はお忙しい中、マスコミ嫌いの田原俊彦のために、こうしてお暇な時間にお集まりいただき、ありがとうございました。この場に挑むことになり、意に反することもありますが、僕のエンジェルちゃんのために頑張ります」とマスコミを挑発。

この「ビッグ発言」で、メディアや世間の反感を買うことになってしまったのだ。
田原はこの会見の翌月、長年所属していたジャニーズ事務所からの独立を発表。
その最大の理由が、事務所に対する不信感だったというのだが、当時、レコード会社関係者は私の取材にこう答えている。

このレコード会社関係者はその理由を「田原が事務所の最大の功労者で、ジャニー喜多川さんが温情をかけていたから」と話し、こう続ける。
下世話な話、「哀愁でいと」の功績への対価は、いくらだったのだろうか。

テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。
その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。
芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した、とアサ芸プラスが報じた。

田原俊彦 – Wikipedia

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ソース:アサ芸プラス

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